教室の写真「主観的レビュー 映画こんな夜更けにバナナかよ 実話だからこその強さ 夏休み毎日レビューチャレンジ14」

こんにちは!ぽらぽらです。毎日映画を見たり、本を読んだりする生活、いいですね。働いていない今限定の贅沢です。なんというか、人生が豊かになるような気がします。

今日は映画「こんな夜更けにバナナかよ」です。

これは、なんだか色々と考えさせられました。前職が高齢者施設で、体が不自由な方々とたくさん接してきました。私は、無意識のうちに色々なことをできないと決めつけ、それを無言のうちに強いていたのかもしれない、と。

この映画の強いところは、これが実話だということ。それも、1994年から始まる話です。1994年なんて、医療も福祉も、まだまだ未発達な状態で、生活のほとんどに介助が必要な人が在宅で生活するなんて考えられなかった時代ではないでしょうか。

そんな中、それをボランティアとぶつかりながらもやり遂げた、という事実がすごいと思うのです。現在であれば、十分在宅可能な方だなぁ、と思います。

この方のおかげで、その後随分周囲の認識も変わり、国の制度も変わっていったのかもしれません。

実はあまりにこの映画の問題提起が深くて、なかなかまとめることができず、何度も消しては書き直した挙句、結局まとまらないという醜態を晒しておりますが、このまま晒します(^◇^;)

また考察を重ねて、ぼちぼち書き直していきます。

では、いってみよ!


引用:映画「こんな夜更けにバナナかよー愛しき実話」公式サイト

もくじ

主観的レビュー14 こんな夜更けにバナナかよ

STORY

北海道札幌市。鹿野靖明(大泉洋)は幼い頃より難病の筋ジストロフィーを患い、34歳になる今では体で動かせるのが首と手だけ。24時間365日だれかの介助がないと生きていけない体にも関わらず、医師の反対を押し切って病院を飛び出し、市内のケア付き住宅で自ら集めた大勢のボラ(ボランティアの略称)に囲まれ、自立生活を送っている。わがままで、ずうずうしくて、ほれっぽくて、よくしゃべって…!夜中に突然「バナナ食べたい」と言い出したりする自由すぎる男・鹿野を介助するボラは、彼と付き合いの長いベテランから、新人の大学生まで人さまざま。その一人、医大生の田中(三浦春馬)はいつも鹿野に振り回される日々。ある日たまたま鹿野宅を訪れた田中の恋人・美咲(高畑充希)まで新人ボラに勘違いされてしまう。おまけに鹿野は美咲に一目惚れしてしまい、田中は彼の代わりに愛の告白まで頼まれる始末…!最初は戸惑う美咲だが、鹿野やボラたちと共に時間を過ごす内に、自分に素直になること、夢を追うことの大切さを知っていく。ところが鹿野が突然倒れ、命の危機を迎えてしまう…。

映画「こんな夜更けにバナナかよー愛しき実話」公式サイト

本当にこの鹿野さんが自由すぎるんですよ(笑)最初はもう、怒りを覚えるレベルで、「いるいる!こういうモンスターな患者さん!」と思っておりました。

介助で車椅子に移る時も、痛い、しっかりしてよ、と文句たらたらだったり、それこそ夜中にバナナを買いに走らせたり。

美咲ちゃんが、最初の頃、「鹿野さんって何様なんですか?障害持ってたらなんでもわがまま言っていいんですか?もう絶対こない」(記憶を頼りに書いております。セリフは正確ではありません)といったようなことを言いますが、まさに、見ているこちらも美咲ちゃんの感覚で見ておりました。

が、これが、後半になると本当に愛すべきキャラに見えてくるんですよ。

自分の命は自分で責任を持つ!

鹿野さんが、病院ではなく在宅に帰りたいと先生に訴える時に言った言葉です。

今では患者さんの意思というのは最優先に考慮するべきことですが、1994年なんてまだまだ医師の決定一択の時代ですよ!

先生が入院、と言えば入院、気管切開といえば気管切開。そんな時代に自分のやりたいこと、生きたい生き様をしっかり主張した鹿野さんがすごいんですよ。

どれだけの人が、本当は家に帰りたくても、帰れないと諦めたことでしょうか。したくない治療を受けさせられてきたことでしょうか。

先生の言うことに、反発する、と言う考えすらうかばない時代だと思います。

たん吸引も、医療従事者以外は禁止されていた時代です。それを押し切り、現実的にはボランティアを集めて本当に帰ってしまうってすごいエネルギーが必要だったと思います。

こういう人がいてくれたから、日本の医療も変わってきたんでしょうね。

それにしてもボランティアの活躍

それにしても、生活のほとんどをボランティアが支えていたというこの事実!ボランティアが夜勤まで交代で行うんですから…。ボランティア、というだけあって無償ですよね(・・;) ちょっと衝撃でした。今であれば考えられないですよね。

そんなボランティアに無茶難題を言いつける鹿野さん、メンタル最強です。

不可能と思わない

自分で不可能だ、と思った瞬間に本当に不可能になるのかもしれません。鹿野さんは絶対に諦めない。心は負けてない。周囲がどんなに無理だと思っても、自分はできると信じている。

そういうメンタルの強さが、在宅生活を可能にし、大勢のボランティアさんを動かし、人工呼吸器装着後も声を出し、旅行やカラオケまで行くことにつながったんでしょうね。

心だけは自由なんだから、自分で制限をかけることはないんだなぁと思いました。

人は迷惑をかけあっていきていくんだ

人の手を借りないと生活できないんだから、そこは借りるのが当たり前、こう行ったスタンスで鹿野さんは過ごしていきます。人は迷惑をかけあっていきている、と。

人に迷惑をかける、って結構勇気がいること。この考えができて、それを言える相手がいると幸せですね。少なくとも少し楽になれる気がします。

心を縛っている田中くん

田中くんは、頭も良く、人もいいけれど、自分に正直になれない、どうしても社会的に演じてしまう性格なんですよね。表面上いい人を完璧に演じようとするんですが、心が伴わない。正直に、っていうことがよくわからなくなっています。

しまいには、自分のことを偽善者だといい、患者さんと向きあう自身がない、と学校までやめてしまいます。

意外と心の中は真っ黒、とまではいかないけれど、黒いものがモヤモヤ渦巻いていたり(≧∀≦)

私の性格と一番近いのが田中くんで、わかる〜わかる〜あんたの気持ち、ようわかる〜〜!せやな、そこはそう思うよなぁってなりました。

鹿野さんに散々振り回された結果、最後には自分に正直に生きようと決めた田中くん。あぁ〜私は未だ何がしたいのかよくわかりませんが、ともかく最後はとってもいい田中くんの笑顔を見れてよかったです(≧∀≦)

ボランティアと障害者の対等な関係

鹿野さんは、散々ボランティアの人たちを振り回します。衝突したり、時にはボランティアの人からひどいことを言われたり。でも、鹿野さんは自分は悪くない、というスタンスを貫きます。

ともすれば、介護される方が始終「ありがとうございます」と言ったり、変に遠慮したり、逆に、ボランティアの方が世話してやってると傲慢に振る舞ったりすれば、そこには主従関係しかありません。

対等にけんかができる関係を築いた、ということがすごいことだなと思います。

三輪清浄(さんりんしょうじょう)の教えを思い出す

仏教の言葉で、三業の全てが清らかに働いていること。
または、お布施のときに、施す人と施しを受ける人と施す物の三つの全てが清らかなこと。
「三輪」は三業のことで、身業、口業、意業の三つのことをいい、身業は体の動作や所作、口業は言葉、意業は意識、心の働きのことをいう。
「清浄」は汚れがなく清らかなこと。

四字熟語辞典

なんだか、この言葉を思い出しました。施す人も、施される人も、施す物も、全てが清らか。

清らか、というと少し違いますが、全て対等であり、上も下もない。鹿野さんは前世仏教を学んでいた人なのかもですね(すいません^^; 突然スピリチュアルになりました)

その他、見どころはたくさん

本当にたくさんいいセリフもあったし、障害者の性についてもちゃんと描いていたり、鹿野さんの命がけのわがままについても考えさせられたし、主題歌も、1900年代が思い出される名曲!見どころはたくさんあります。

けれど多すぎてうまくまとまらない(^_^;) このすごい映画に対して完全に実力が足りません。

そして大泉洋さんの演技は、本当に素晴らしいです。鹿野さんは、大泉洋さんじゃないとここまでしっかり描けなかったと思います。やっぱりこの人、すごい。

キャスト他

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まとまらない

ごめんなさい。何度も書き直し、でもまとまらないという、初めての体験をしています。色々と考えさせられる映画で、テーマも重いにも関わらず軽いタッチで描かれ、見終わった後はまるで自分も鹿野ボラの一員であるかのような、爽やかな感動があります。生命の全肯定!

一言で言うと、面白かった!(≧∀≦)

この映画、また考えをまとめてぼちぼち書き直すと思います(≧∀≦) そのくらい内容の濃い映画でした。これも原作を読みたくなる映画です。

原作はこちら♪

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