宮沢賢治詩集 写真

大好きなんですが、本を手にとってもなかなかページが進まない作家っていませんか?私にとって宮沢賢治はそういう作家の一人です^^;

なんででしょうかね?一つは、明治29年〜昭和8年を生きた作家さんであり、言葉が文語調で難しく感じること。もう一つは、独特の表現ではないかと思っています。

宮沢賢治は小さい頃から鉱物が好きで、多くの石を集めていたそうです。また、星座も好きだったみたいですね。物理とか、心理学的なものを感じる用語もたくさん使っています。仏教にも詳しく、仏教の用語も出てきます。それらが相まって、他にはない文章の魅力になっていますが、馴染みがない用語が多く読みにくい(^◇^;)

今手元にある『春と修羅』に収録されている『真空溶媒(しんくうようばい)』という詩の書き出し。

融銅はまだ眩めかず(ゆうどうはまだくらめかず)/白いハロウも燃えたたず

ですもんね(^◇^;) 物理だか、化学だかわからないけど、独特な世界。さらにこの詩の中には、ゾンネンタールという言葉も出てきます。こちらは何か不明だけれど、オーストリアの俳優ではないか、という話。

で、いちいち注釈を見ながら読むので、なかなかページが進まず、読みかけものもがたくさん、というわけです。

でも詩は、一編一編が短いからいいですね。好きな時に目に付いた詩だけ読めますもんね。

雨ニモマケズは、宮沢賢治の詩の中で一番有名な詩かもしれません。若い頃はさら〜っと読んで、この人、いい人なんだなぁ。くらいの感想でしたが、年とともにこの詩の良さがわかってきます。そして、時々無性に読み返したくなる詩です。

もくじ

雨ニモマケズ 読書感想

全文

まずは、全文引用してみたいと思います

〔雨ニモマケズ〕

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾(ヨク)ハナク

決して瞋(イカ)ラズ

イツモシヅカニワラッテヰ(イ)ル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンヂャウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭(カゲ)ノ

小サナ萱(カヤ)ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南に死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ

北にケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

新編 宮沢賢治詩集 天沢退二編 新潮文庫 より

元々は宮沢賢治のメモ

この文章、元々出版目的で書かれたものではなく、宮沢賢治の手帳にメモのように書かれていたものなんだそうです。ですので、この雨ニモマケズというタイトルも、書き出しを当てた仮のタイトルなんですって。

宮沢賢治が晩年、実家で闘病中だった1931年の手帳に書かれていたもので、日付は11月3日となっているところから、1931年の11月3日が作成された日ではないかと言われています。

この手帳は、研究者の中では雨ニモマケズ手帳と呼ばれているそうです。

雨ニモマケズ手帳写真

引用 Wikipedia

欲を捨て去った仏の精神...を目指した賢治の精神

歳を重ねてからこの詩を読むと、なんというか、人間がこういう境地に立つことの難しさをひしひしと感じます。人間って、やっぱり欲深くて、それは例えば食欲、性欲、物欲みたいな直接的な欲もさることながら、名誉欲とか、承認欲とか…いろんな欲に囚われているなぁと。

色々な欲さえなくなれば、悩みとか、苦しみってほとんどなくなるのではないかと思うくらい。

私で言えば、昔からできないことも多かったし、世界の第一線で活躍している人だとか、強烈な自分の個性を持って自信に溢れて生きている人が、眩しくて仕方がなかったです。それは今も変わらず、いろんなことが人より劣る自分、あまり人の役に立てない自分、っていうのがしばしば辛い。これは名誉欲だったり、承認欲だったりするんだろうと思っています。

なもんで、昔からアニメのヒーローやヒロインにすごく憧れます。テレビの情熱大陸とか、プロフェッショナルも大好きでした。

でもこの詩を読むと、大切なのはそこではないと思える。

なんというか、この詩の主人公が自分の姿と重なるんですよ。デクノボーと呼ばれて、褒められもせず、苦にもされない、日照りの時には涙を流して、寒い夏にはオロオロするような、直接役に立たない主人公。もうなんだか私みたい^^;

でもそんな私でも、病気の子どもを看病し、疲れた母の稲の束を背負い…身近な人の心に寄り添うことはできるよね、って思えるんですよね。

そして実は、そういう欲を捨て去って身近な人に寄り添って心を救っていける人も、菩薩に近い存在なんだろうなぁって思えます(当然、もっと大きな働きをする仏様も神様もいるんですけど)

もちろん、私はまだまだ欲まみれな人間なので^^;、程遠いんですけど、この詩を読むと改めて自分の目指すべき方向性が見えて、時々疲れた時に読み返したくなる詩なんです。

もちろん…

この詩には、『よく見聞きしわかり、そして忘れず』とあるので、きっと優秀なんだけれども、質素に暮らし取り立てて驕らず、威張らず、人々に寄り添える人になりたい、という意味であって、先ほど私が書いたような、もともと人より劣るけれども身近な人々に寄り添える、という意味ではないと思っています。が、それでもこの詩のような人を目標にしたいと思える魅力のある詩だと思うんですよね^ ^

宮沢賢治の何がすごいって、きっと才能もあって、その気になれば人々の注目を浴びる存在になれるだろうけれど、自らこの詩のような人を目指していたということですよね。

常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)

今回、感想を書くにあたってWikipediaを確認していたんですけど、やはり法華経の影響を受けている詩のようです。宮沢賢治は、常々、常不軽菩薩のようになりたい、と思っていたとのこと。

この菩薩様、釈迦の前世と言われていて、決して驕らず、人々を敬い、仏になる道を説いた菩薩様みたいです。人々は、この菩薩様に悪口や瓦礫を投げたりするなどして迫害したけれど、決してそういう人々を悪くいうことはなかったんですって。

法華経の中に載っている話のようです。

それにしても、歳をとると、仏教の教えが身に沁みますね。

また時々読み返しながら、私は私の人生頑張って生きていこうと思います^ ^

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