最近あまりニュースなど見ないのですが、昨日たまたまyahoo!ニュースを見ていたら、アンパンマンのアンパンチが暴力につながる、というSNSの投稿があって、それに対して世間がざわついているといった記事を見つけました。
ちょっと前のニュースかと思いますが、昨日知ったので、書きます。…これ、本当に今の世の中を反映してるなぁと。
思い出したのは、うちの子が年少々クラスの頃。お迎えに行くと同じクラスの男の子がブロックで作った銃を持って、「バン!」と撃ってきたので、演劇部よろしく「うわ〜〜〜っや・ら・れ・た〜〜」と倒れたんです。そしたらその男の子がすごく喜んで、私を見るたびに撃ってくるようになりました。
ある日、同じように撃ってきたその男の子に、先生が言いました「人に向けたらダメだよ〜壁を撃つんだよ」
「⁈」しまった、これは今の教育ではいけないことだったのか?いやいや、昔はチャンバラごっことかあって、切った切られた、うわーやられた、いろいろやったよね?今は壁に向かって打つのが正解なのか?やられたふりをして子供をのせるのはNGなのか?
と、かなりモヤモヤしてしまい、その後は撃たれても「…壁を撃つんだよ〜」と流したんですけど…
その後気になって、読みました。私が大好きな河合隼雄さんの本を。その名も「子供と悪」。本当にね、子供の持つ悪い部分と、どう向き合えばいいのか分からなくって。だって子供って平気で嘘つくし、そう言った暴力とも取れる行動が好きな時期ってあるしね。
この先はあくまでも本の感想になります。私の一つの意見として捉えてくださいね。もくじ
感想23 子どもと悪
河合隼雄さんの本は、“こうすればいい”って方法を言わないんですよ。それだけ人間の心理って複雑で、多様性があるってことだと思うんですが、きっぱりこうだからこうしなさい、とは言い切らない。こういうことがあって、こういったことが考えられるけど、こういう面ではこうとも言える、みたいな言い方をされることが多いんです。
だからはっきりとどう接すればいい、とは書いていないんですが、このようなことを書いておられます。
教師や親が悪を排除することによって「よい子」をつくろうと焦ると、結局は大きい悪を引き寄せることになってしまう。
一つの例として、小学5年生の、成績が良くていわゆる「よい子」で育った男の子が、突然友達のピストルを盗んで郵便受けに入れた、という事例。郵便受けというのは手紙を入れるところ。男の子はピストルという手紙で母親に何を伝えたかったのだろう、という問いに、母親は、河合隼雄さんと対話をする中で「ピストルと言うより、そう言う攻撃的なもの、荒っぽいものが足りなくて、私の家は妙に上品すぎるということでしょうか」と答えます。
このことは、最近子供の数が少なくなったため、男の兄弟がなくて育ってきた女性ーこの母親がそうだったがーは、男の子というものがどれほど「乱暴な」ことをするかを知らない、ということにも関連してくる。母親は子どもを「よい子」にしようとし過ぎて、あまりにも野性味のない子にしてしまう傾向が強い。
平和愛好者になるためには、子どもの時に殺したり、殺されたりの遊びをしたり、虫を殺したりするようなことが必要である。このようなことを通じてこそ、平和とはどういうことか、殺すとはどういうことか、などを実感することができる。それを通じて経験的に学ぶことが必要なのである。これをこの母親のように攻撃的なことを一切抜きにして育てようとすると、かえって逆効果を生むことさえある
これを見ると、今回のアンパンチのニュースは、まさにこれと同じような土壌から生まれているのだと思います。
この本を読んで、撃たれた時に盛大にやられていた私は間違っていなかった!と内心ホッと胸をなでおろしたのでした。
残酷な物語にも意味がある
また、昔話の残酷なシーン(赤ずきんちゃんがオオカミに飲み込まれたり、ヘンデルとグレーテルでは両親が飢えに困って子供を捨てたり、かちかち山でお婆さんを殺して婆汁にしたり)の事も取り上げているのですが、
残酷な話をしたからといって子供が残酷にならないということはすでに述べたが、それでは残酷な話を一切しなかったら、子どもはどうなるであろうか。その反応として、まず考えられることは、子どもが自ら残酷な話をつくりだすということである。
〜中略〜
親があまりにも「衛生無害」の話のみを与え、子どもがそれに反発する力ももたず、人工的な「いい子」がつくりあげられるとき、その子は思春期頃になると、急激に反転現象をおこし、親に対して「残酷」な暴力をふるったりする
〜中略〜
子どもたちは「残酷」な話を聞きながら、それを内面的に知り、その意味を自分のものとしてゆくので、やたらと残酷なことをする必要がなくなるのである。残酷さに対して何の免疫もない子が、残酷さの犠牲になるのである。
と書いてあります。ただし、これは昔話は語りかけによって育まれたという土壌があることが前提に話されていまして、絵本やテレビだと、子どもがイメージを作る前に映像として与えられてしまうと。テレビで昔話の残酷なシーンを流すのは害になるだけだろう、としています。大切なのは、子どもが内的真実を元にイメージを作り上げること。
子供達は話の中の残酷さや怖さに、キャーと叫んだりしながら、そこに存在する人間関係を土台として、その体験を消化し自分のものとしていくのである
※この中の人間関係というのは、語りかけている親等との関係のこと
難しいのはこの辺り。残酷な物語の意味を真に理解した大人が語りかけることで意味をなすということで、やはり基本として必要なのは安心感のある親子関係なんでしょうね。その上に強すぎない刺激、処理できる範囲の刺激としての残酷さが必要なのでしょう。
確かに、私自身もドラマや映画が苦手なんです(最近映画はみれるようになってきました)。情報量が多すぎて、受け止められないことがあるのです。好きなのはラジオドラマ(ラジオドラマだと少々ホラー要素があるものも平気で聴けます)。それか、本です。言葉のみ、文字のみの情報だと、自分の許容範囲内でイメージ化できる。でも映像だと時に暴力的に否応なくイメージも情報も入ってきてしまうのです。
今はメディアが発達してしまって、こういった悪を上手に学ぶことが難しい環境になっているのかもしれません。
ですので、確かに子どもに有害なテレビや動画も多い世の中なのだと思います。
でも、それを踏まえても、アンパンチに関しては、アンパンマンは必ず愛に基づいて力を振るっているし、バイキンマンも「バイバイき〜ん」と飛んでいくだけで、そんなに残酷な訳ではない。親との信頼関係が築けていれば、プラスにこそなれ、マイナスにはならないと私は思います。
物語と心理
河合隼雄さんは、ご自身の著書の中で、よく昔話や物語を引き合いに出して心理について語られます。そして時に物語には、残酷なシーンや、けんかやいじめといった悪いことも登場しますが、それも全て子供が成長する上で、必要なことなんだろうなぁと理解しました。
裏を返せば、人間には潜在的に、暴力・攻撃性・盗み・うそ・秘密・性・いじめといった悪の本能のようなものが内在していて、それを自分なりにうまく折り合いをつけていく、という過程が必要なのかな、と。
成長して自分で何でも実行できる時になって、その折り合いがうまくつけられていることが大人になるということで、それには小さい頃から、犯罪にならない程度の悪いことは繰り返しながら、痛い思いをして泣いたり、逆に相手が泣いたり、怒られたり、虫を殺して動かなくなるすべを観察したり、そんなたくさんの経験が必要なのかもしれません。
だからこそ、答えは出ない
それは本当に個人的なもので…個々の物語を紡ぐようなものなので、「こういう時には、こうすればいいのです!」みたいな、わかりやすいはっきりとした答えは出ない。だからどうしてもこういう考え方もある、こういう場合はこういう面もある、といった表現になってしまう。
子どもの悪と向き合う時には、大人はその子がどんな意味を持ってその行動を行なっているのか、ということを考えつつ、悪いことは悪いとしつつ、でも子供の人格は否定せず、悪との折り合いをつけていける手伝いをしなければいけないのでしょうね(・・;)
あ゛〜〜そうはいっても、難しいけどね。でも、そういう視点を親が持っておくだけでも違うのではないでしょうか。
河合隼雄さんの著書は、本当に奥が深いんです。言葉はとてもやさしい言葉で書いてある。だからとても楽しくスラスラと読めます。でも奥が深くて、素人の私が読んでも多分本当の意味は半分も理解できていないと思います。たくさん読んで少しでも理解したいと改めて思う今日この頃。
そして興味のある方はぜひ自分で読んでほしいなぁと思います。
まとめ
子どもを取り巻く悪について、いろいろな角度から河合隼雄さんの意見を述べている本。子どもさんのちょっとした悪いこと、に悩んでいる人、悪い人(というと語弊があるかもしれませんが)との付き合いに悩んでいる人は一度読んでおくとよいと思います。
はっきりと、こうしなさい、という答えは出ませんが、人間というものを深く理解する一助となる本です。
そして結論、アンパンチは絶対に悪くない。むしろ必要だと思います。
この本の目次
Ⅰ悪と想像
- 想像的な人たち
- 個性の顕現
- 自立の契機
- 悪と想像
Ⅱ悪とは何か
- 悪の心理学
- 悪の両義性
- 根源悪
Ⅲ盗み
- 盗みの魅力
- 火を盗む
- 欲しいものは何か
Ⅳ暴力と攻撃性
- 攻撃性
- 身体と悪
- 遊びと悪
- 感情の爆発
Ⅴうそ・秘密・性
- うその計画
- 秘密
- 子どもと性
Ⅵいじめ
- いじめの根底にあるもの
- 現在のいじめ
- いじめと対策
Ⅶ子どもを取り巻く悪
- 一つの事例から
- 善意という名の悪
- 大人・悪・子ども
あとがき
- 補論1 悪への挑戦
- 補論2 昔話の残酷性
- 補論3 子供の「非行」をどうとらえるか